石川県立看護大学

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令和3年度入学式式辞(2021年4月6日)

 本日、本日石川県立看護大学に入学された80名の皆さん、石川県立看護大学看護学研究科博士前期課程?後期課程に入学された14名の皆さん、ご入学、誠におめでとうございます。コロナ禍を跳ねのけて元気に入学された皆さんを頼もしくまた嬉しく思っています。入学の皆さんを今日まで支えてこられたご家族や関係者の皆さまにも心からお祝いを申し上げます。また、お忙しいところ駆けつけてくださいました谷本石川県知事をはじめ、ご来賓の皆様、そして石川県公立大学法人の皆様、ご臨席を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、本日皆さんのお顔を拝見し、本学にも新たな春が巡り来たことを実感しました。教職員一同もつらかったこの1年を一時忘れ、久しぶりに明るい気持に浸っています。皆さんとの出会いから新しい活気が生まれることが大変楽しみです。とはいえ、コロナ禍の状況は今もなお続いており、本日の式もこのように間隔をあけての座席配置になっています。ご家族、関係者そして教職員の座席も制限されていること、お許しください。この他にも守るべき行動の制限はしばらく継続することと思います。そのため授業が始まってもなかなか平常通りとまではいきません。
 しかし翻って考えれば、看護職を目指してスタートラインについた皆さんには、時々刻々と変化するコロナ禍への対応に触れて自分の取るべき行動を考えることは、教室に座らずとも生きた勉強になることと思います。また高度な実践者、看護教育研究者に向けて勉強を始める大学院生の皆さんにとっては知識の確認や自らの実践の振り返りの機会となることと思います。

 振り返りますと、看護の教育が大学化され、看護の大学院がそれにつれて増しているのはたったのここ5-60年間のことです。そして高齢化社会の到来や医療の進歩などによって、どんどん学ぶべきことが膨れ上がっているのが現状です。我々看護学教育に当たる者の興味関心も、社会情勢の変化につれてあれもこれもと広がり、未知なることに関心を向けて看護の守備範囲を広げています。
 これは大変好ましいことである反面、コロナ禍によって、おろそかにしてはいけない昔からの看護の基本があることを再認識させられたと思います。看護職は大学化される前から感染管理において国内外を問わず長く経験を積み、技術を高めてきました。この機会に看護職が感染管理の担い手として存在することの重要性を改めて捉えなおすことによって、看護がだれのためにあるのか、どのような知識が必要なのかを再確認することができます。この1年間の感染者及びその関係者からの看護職に対する賛辞や、社会からの看護職への期待がそれを物語っています。
 看護職を目指す皆さんは単に勉強するだけではありません。人々にとって崇高な存在となり、尊敬される存在となることに向かっているのです。看護職を目指す皆さんは今の時代、人々から待ち望まれているのです。そのような存在となるのだ、社会が待っているのだと常に思っていることによって、これからの学ぶべき知識や技術の山に立ち向かう姿勢と気力も維持できます。自分の人間性も磨かれます。教職員一同もそのような皆さんを応援することで自らの仕事に誇りを感じています。
 大学院に入学した皆さんはこのような道をすでに通過して現在がある方々です。しかしコロナ禍において看護職への社会からの期待を同じく改めて強くお感じになったのではないでしょうか。そのうえで、この大学ではそれぞれの看護上の専門性を高めることや教育研究能力や実践能力の向上を目指しておられると思います。コロナ禍で感じ取った看護職の向かうべき姿を胸に置いて、目的を達成していただきたいと思います。小手先ではなく、真心を伴った真の成長を遂げていただきたいと思います。また、機会があれば学部に入学したての今日ここに一緒に並んでいる若者に、経験を分けてくださるとありがたく思います。

 コロナ禍は、看護職に初心に帰ることを突きつけましたが、そればかりでなくすべての人に強い衝撃を与えました。コロナ禍は、世界中で、医療?教育?経済活動等のすべての面において、同時進行的に、同じ経験をするというすさまじいものです。「当たり前」に送っていた日常生活がことごとく奪われ、茫然自失となるという経験をしました。世界中どこに行っても逃れられず、じっとしているしかないという閉塞感に包まれました。このすさまじさは、さらに、人間社会と自然の関係など、これまで深く考えずに「当たり前」と受け止めてきたことに不安を感じさせ、様々な振り返りが強いられているような気がしています。

 その点、看護職は元来「当たり前」で物事を捉えてはならない存在です。目の前の個人?集団が示す症状や現象を、あの病気にかかっている人なら「当たり前」、あの地域に暮らす人なら「当たり前」と納得するより、常に少しの異変でも見つけ出し、なぜか、どうすればいいのかを追究する姿勢でいなくてはなりません。最前線で病む人とかかわり、接触時間も長い看護職であるがゆえに、「当たり前」を廃することによって抱ける疑問や気づきはたくさんあります。看護師の抱く疑問や気づきから、従来の「当たり前」を見直すことや、治療法を改善させる場合もあり得ることです。このことはこれから4年間の間に学ぶことの中に入っていることと思います。

 また、「当たり前」に注目して文化面から人間を見ますと、人間は社会を構成し、その社会から影響を受けることから逃れられない存在です。人々と交わり、その交流経験からいつの間にか得た自分流の「当たり前」の考えを持っています。すなわち後天的で、限られた経験に基づいたものですが、本人からするとそれが正しいと錯覚する「当たり前」です。自分の「当たり前」にこだわると、他の人の「当たり前」を否定し、仲良くなれずに緊張関係に陥り、排除するようなことが生じてしまいます。
 大阪大学の元学長の鷲田清一先生が、「自分がわかっていないことがわかるということが一番賢いんです」と述べておられます。人と接するときも同様で、自分を客観視し、「自分は相手をわかっていないこと」を自覚する賢い人であることを心掛けてください。そうすれば、「相手の人の身になる」という次のステップに進むことができ、自分の錯覚に気が付き、緊張関係は和らぎます。
 皆さんは今日からこの大学でたくさんの人と出会い、ともに学びます。自分の「当たり前」だけにこだわらず、いい関係をたくさんの人と作ってください。人と知り合うことは多様性を認め合い、「当たり前」の幅が広がり、自分も豊かになるということです。多様性を面白がる姿勢で、大学生活を過ごしてください。
 フランスのデザイナーのココ?シャネルさんが、「20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔はあなたの責任」と言っています。20歳過ぎたら経験や生き方が顔に出てくるものという意味です。大学院に入学した皆さんにも同じ言葉を贈りたいと思います。私のような年齢になると手遅れかもしれませんが、ここにおられる皆さんは「大人になったね。顔が引き締まったね。いい顔の相だね」と言われるような時間を過ごしていただきたいと思います。この大学は開学22年目に入りました。開学時に比べ社会環境も大きく様変わりしており、だいぶ世間にもまれてきたようにも思いますが、20歳を少し過ぎた現在、どのような顔に見えているでしょうか。

 今年は春が早く、ここ、かほく市の高台でも桜が散り始めています。それを惜しみながらも皆さんは、なるべく早く大学に馴染み、元気いっぱい始動してください。在学生も首を長くして待っています。最後に、教職員一同の心からの歓迎をお伝えして式辞といたします。本日は誠におめでとうございます。

令和3年4月6日
石川県立看護大学 学長 石垣和子

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