石川県立看護大学

石川県立看護大学

平成30年度卒業式式辞(2019年3月16日)

 本日、石川県立看護大学を卒業される85名の学部生の皆さん、10名の大学院博士前期課程修了の皆さん、2名の博士後期課程修了の皆さん、誠におめでとうございます。本学の教職員一同とともに、心からお祝い申し上げます。また、お忙しいところ駆けつけてくださいました石川県知事をはじめ、ご来賓の皆様、そして石川県公立大学法人の皆様に厚く御礼申し上げます。あわせて、今日の卒業式を迎えるまでの間にいただいたご父兄?ご家族?関係者の皆様のご厚情に心より御礼申し上げます。石川県立看護大学は開学以来19年がたち、卒業生は1403名?大学院修了生は134名になりました。

 さて、これから希望に胸を膨らませ初の仕事に臨む皆さん、看護学修士、看護学博士という学位を得て新たな自己となって実践や教育の場にお帰りになる皆さん、この場には皆さんのそれぞれの思いが湧きいで、それらが一つになってらせん状に昇って天井から空に向かっているような気が致します。日頃静まり返っているこの講堂ですが、本日だけは特別な光に満ちあふれているようです。今日は少し寒い日になりましたが、このように祝えることを誠に嬉しく思います。

 学部卒の皆さんがやっと物心がつく頃の2001年、9.11と呼ばれる事件がありました。大学院ご卒業の皆さんは記憶されている事件と思います。航空機4機を使った同時多発テロと言われる事件です。その後の世界情勢に大きく影響し現在も尾を引いています。アメリカニューヨークマンハッタンのツインタワービルが崩れ落ちる映像と、それを見て口々に「オーマイゴッド!」と叫ぶ声が衝撃的でした。前置きが長くなりましたが、その時の大統領であったアメリカのブッシュ大統領は南メソジスト大学という大学での卒業祝辞で次のように述べたそうです。「今日、優秀な成績を納め数々の賞を受けて卒業する皆さんには“よく頑張りました”という一言を、そして平均的な成績の皆さんには“君も大統領になれる”という言葉を贈ります。」私はブッシュ大統領を決して素晴らしいと思っているわけではなく、9.11後の処理には疑問もあります。ですが、成績が平凡であったといわれる彼自身の自虐が含まれたこの言葉には共感します。おそらく彼の心からの言葉でしょう。つまり大学の成績で人の存在価値が決まるのではありません。人の人生には限りない可能性があります。本学はよくも悪しくも規模の小さな大学です。廊下を歩けばあちこちで先生に出会うという環境でしたね。生活も成績も先生には丸見えではないかと小さくなっていた人もおられたかもしれません。しかし、教員は誰もの前途が洋々と開けていることをことさら知っています。どうか皆さん、どの一人に対しても思いをかけているたくさんの教職員がここにいることを胸に納めて、これから精一杯活躍して下さい。皆さんより先に人生を始めた私からすれば皆さんは旅の入り口に立ったところです。あきらめ、自分をこの程度のものと決めつけるには早すぎます。逆に今の時点で「自分はできるんだ」と思い込むことも早すぎます。

 さて、この春は全国で60万人を超える若者が大学を巣立ちます。近年の学問の進歩?技術革新はとても早く、いずれの領域でも皆さんのエネルギーや突破力を嘱望しています。大学生はおろか、日本でも中学生、高校生が起業するニュースも伝わってきます。先頭を走る大学はこぞって知識?情報を与えること中心の教育を改め、コンピテンシーといわれる力をつける方向に舵を切っています。何故かといえば、社会にはたくさんの知識?情報が手に入りやすい形で存在する時代になったため、知識や情報及びその活用はわざわざ教えてもらうものでなく自ら得るものとされ始めているのです。情報リテラシー、メディアリテラシーなどという語はすでに皆さんは耳にしたことがあるはずです。大学院生はヘルスリテラシーという語をよくご存知でしょう。教室でスマホをいじることはダメとされていますが、講義中にわからないことをすぐその場で調べることに使うことの是非を問われれば、ダメとは言えない時代になっているのです。

 では、看護の領域に目を向けてみましょう。私の主観で言えば、学問を革新的に進歩させることや技術革新へのエネルギーには他の領域と比べて温度差を感じます。皆さんは職業人生のスタートを切る今、自分がイノベーションを起こすことは遠いことと思っていませんか。地方創生、地域医療構想、地域包括ケアシステム、どれも4年間のうちに大学の講義で1回は耳にした言葉だと思います。社会は2025年の社会のあるべき姿、その先の2040年のあるべき姿を全力で描こうとしています。保健?医療?福祉においては、年をとってもいつまでもできることをしながら元気に暮らすこと、病を得たとしても住み慣れた自宅で療養することが実現できる地域社会を作ろうとしています。そうした中で皆さんは2つの点で新たなムーブメントイノベーションを起こすのに有利な状況にあると思います。

 一つはコンピテンシーを育成する教育をすでに受けていることです。二つ目は、本学で看護師と保健師という2つの国家資格を取れる教育を受けていることです。一つ目のコンピテンシーを育成する教育とは皆さんの受けた看護教育のことで、看護教育では当たり前であることが今注目され始めていると考えています。コンピテンシーとは何を指すかについては文部科学省が説明していますが、少し長いので私が要約したところ内容は3つです。「知識?情報?言語?テクノロジーの駆使力」、「人間関係形成力」、「自律的な行動力」です。これはいかにして身につけるのでしょうか? 舵を切った大学では、模擬的な体験、実社会の体験、仲間同士のディスカッション等々を活用することが試みられています。これは看護教育がやってきたことそのものではないでしょうか。ただし我々に少し足りていない面もあります。最新のテクノロジーに関する目配りなど、いつの間にか時代が看護教育の先に進んでしまったことへの配慮は多少抜けているかもしれません。また、看護職には国家資格による裁量の制限があるため、「自律的な行動力」はややもすれば手控えてしまう面もあるかもしれません。このように少し手直しは必要ですが、皆さんのコンピテンシーに関する能力は看護教育の中でかなり育っております。あとは勇気を出し、応用力を発揮できれば社会に貢献できるイノベーションが可能となります。

 二つ目の点は、どちらの資格で働くにせよ、皆さんの中では看護師と保健師が融合しているということです。これからの時代、この二つの能力が大切なのです。これまでは病院と行政に仕分けして働くことを当然視しすぎていたのではないでしょうか? 仕分けを見直すこともイノベーションなのです。新しいムーブメントを起こせるかもしれません。皆さんなら看護師として働きながらも保健師的な働きを加味することが無理なくできます。皆さんは2025年に向かうこの時代、続くさらなる人口減少の時代にますます活躍してもらいたい人材なのです。看護系大学数は皆さんの入学時には241校、今年の新卒予定者数は2万4千人ほどですが、看護系大学の多くが実習場所確保の困難性から保健師の全員必修をやめてしまいました。今や本学で学んだ皆さんは希少価値のある存在です。世の中が急速に進歩している今日、看護からも何らかのムーブメントを見せる機は熟していると思います。

 さて皆さん、先ほどは9.11の話を出しましたが、日本では今年もまた3.11の東日本大震災が思い起こされたばかりです。本学では宮城県亘理町への支援を継続しており、今月も30名ほどが現地に出向いて勉強をさせていただいてきました。人類は大変長い歴史を持ち、今日に至っています。なおかつ今後も歴史を刻みます。地球規模的な見方をすれば、最近の自然災害の多発は地球が少し咳をした程度のこと、収束しないテロ合戦は人類が転びそうになった程度のことかもしれません。しかし3.11ではともだち作戦で海上から支援してくれた米兵のがん多発、9.11では倒壊したビルの後始末にあたった方々の健康被害などが時間とともに現れてきております。悲しみや後悔、憎しみがいつまでもふくらみこそすれ消えない現実と併せて、目を背けることはできません。地球規模からするとほんの一瞬ですが、自らの責任の及ぶ時間尺度で物事を考え、子や孫の代には同じ思いをさせまいとするのが人間です。その点からすると、昨年の11月に発表された人間のゲノムに手を加え、エイズにかからない双子を誕生させたという中国の科学者の発表は、咳をした、転びそうになった程度の影響ですむのか大変気がかりです。世界中がその信憑性を含めてなりゆきに注目しています。特別の病気の治療のために開発された技術が、特別に優れた人間を作ることに使われ始めると、凡人はどうなるのか?皆さんはこれから医療の場で感覚を麻痺させず、敏感な感性を持ち、考える人間でいていただきたいと思います。もちろん必要な時は声を発するのです。

 話変わって明るいニュースもありました。昨年に続き、今年も若者が社会にたくさんの驚きと感動を与えてくれました。」テニスの大阪なおみ選手は皆さんと同年齢、卓球の選手たちはこれから皆さんの後を追ってくる年代ですね。彼らからの折々のコメントから感じられるのは、成熟です。語り口は様々ですが、①周りと比べず自分と向き合う、②他人を変えようとせず自分が変わろうとする、③人の言葉に反応する前に相手の立場や考えを理解する、などがうかがわれます。若くして成熟するだけのひたむきな挑戦があったことが垣間見えます。皆さんは、「青はこれを藍より取りて藍より青く、氷は水之を為して、水より寒し」という中国の荀子の言葉を習ったことがあるでしょう。これは弟子が師匠を一歩超える修養ができていることを指し、努力によって修養を高めることができることを意味します。また、今年もさわやかな感動を与え続けてくれている将棋の藤井聡太さんは、藍という字と出るという字をつなげて「出藍の誉れ」と言われ、師を超えるすぐれた弟子としてたたえられています。皆さん、失敗を恐れず成功を目指して挑戦してください。その経験を通じてこそ師を一歩超える修養ができ、成熟した人間に至れるのです。大学院を卒業された皆さんも同じです。学位を得た新鮮な気持ち、それは何物にも代えがたい若さです。これからは挑戦的な気持ちで何事にも向かい、「出藍の誉れ」となって下さい。

 今年も春が巡ってきました。お別れのときでもあります。博士前期課程、後期課程の修了生の皆さんの懸命な努力と論文を書き上げる集中力は見事でした。学位をえた新鮮な気持ち、それはなにものにも代えがたい若さです。これからは挑戦的な気持ちで何事にも向かい、「出藍の誉れ」となってください。学部卒の皆さんの教室での顔、情報処理室や図書館で遅くまで調べる姿、思い思いに地域や海外研修などで学ぶ姿はまぶたに焼き付いています。名残惜しい気持ちでいっぱいですが、送り出さねばなりません。今後は、皆さんが、時には母校を訪ね、語らい、生涯の学習の場としてここ石川県立看護大学を積極的に活用していただけるよう願ってこの式辞を終わらせていただきます。大学の教職員一同、皆さんの未来を楽しみに見守り、応援しております。本日は誠におめでとうございます。

平成31年3月16日
石川県公立大学法人
石川県立看護大学学長 石垣和子

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